2023.12.13
社長Blog
思い
全てのことが
人生の糧になる
「あなたの努力に心から感謝します
この経験があなたの人生の糧となりますように」
これは、私が学生時代マクドナルドでアルバイトをしていたときに支給された給与袋に書いてあった言葉です。最初にそれを目にしたときのことが印象深くて、今も忘れられません。
その言葉に(まんまと)励まされながら高校3年~大学卒業まで働くことになるわけですが、アルバイトとしては当時頂点のA-スウィングマネージャーに昇格し、バイトとして行う全てのポジションを極め、社員と同じような権限が一部与えられ、お店のOpen Closeはもちろん、バイトのスケジュール管理、発注管理や、月末売上分析などにも関わり、ボーナスももらっていました。
当時身につけていたバッジや、グッズです。
「仕事」の原点が詰まっているので捨てられないでいます。
大学4年のときに、正社員にならないかと誘われましたが丁重にお断りし・・・卒業後勤めた建設会社でファイナンスの仕事をしていて宅建試験も合格しましたが、それも辞めて、この業界に異業種転向しています。
それから、何十年も社会人をやってきていますが、過去の関係ないような回り道の経験が「全てが糧になること」を身をもって実感しています。
また、広報ブログを担当している長澤が元プロバスケ選手で異業種転向していますが、一つ前のブログで
「関係ないと思っても地続きの道なんだな、と強く感じることができました。」
と書いています。まさにその通りで、「縁」や「経験」は環境が変わったら無くなるものではなく後に自分を助けてくれる財産でもある、と考えています。
長い前置きですが、今回はこのことについて書きたいと思います。
異業種経験=異端 の時代
私は大学→建設会社→専門学校→クリエイティブ業界に回り道して入ったこともあり、当時はその回り道を取り返したくて苦しんでいました。転向したはいいが、美大芸大出身の人たちに囲まれて木っ端微塵となり、崖っぷちに立たされていました。美術系ではない大学を卒業したことも、全く関係のない仕事をしていたことも、体育系の部活に所属していたことすら、当時は言いたくなくて隠したい一心でした。正直、マクドナルドの給与袋に書いてあった言葉など、全く実感できませんでした。
今のように多様性が受け入れられるようになった世の中とは違い、異業種経験=異端 でプラスに捉えられていない風潮もあったのかと思います。
異業種転向して12年くらい経って、いろいろな案件で入選・入賞したり、社内でもアートディレクター、制作部長と歴任し、そんな劣等感もほとんどなくなっていたころ、ある外の人から「だって、西野さん、美大出身じゃないでしょ?」と言われたときは、相当ショックでした。「12年やってきているのに、まだ認めてもらえないんだ・・・」と。
「異業種経験」の反撃開始
それからしばらくして独立起業するのですが、そこがひとつの人生のターニングポイントとなり、今まで伏せてきた私の「異業種経験」が反撃開始することになります。
①まず、会社経営に必要な財務会計知識
特にクリエイターは苦手な人が多いですが、私にとっては抵抗がありませんでした。もちろん何もかも初めて対応することばかりでしたが、財務においては直感も働くし、対応策を柔軟に講じれるということにおいて役立ちました。
② 営業的な業務
前職の制作会社時代から新規営業もやっていて、やりたい仕事は自分で取りにいくというスタンスが、起業したときにスムーズに生かせました。前々職の建設会社でビジネスマナーを叩き込まれ、ビジネスマインドの対話ができることも武器になり、また回り道での縁によって仕事に結びついていることも多いです。
③ コストとマーケの意識
自分の仕事の対価は自分で決めたくて、前職の制作会社では数字に自ら関わるようにしていました。収支などの売上管理はマクドナルド時代の経験で全く抵抗がなかったです。また、大学のときにマーケティングに最も興味を持ち、ブランディングの上でクリエイティブとマーケティングは表裏一体のものであるので、実際にそれを理解していることでクライアントから信頼や相談してもらえることに繋がっています。
④ ITリテラシー
前職でシステム担当を兼任していて、言わばPCオタクです。Macの中を開けて分解して修理したり、カスタマイズしていました。社内ネットワークを考えたりするのも好きだったので、今の社内ネットワークやリモートVPNシステムの導入なども抵抗なく対応できました。
⑤ 雑学や専門外の知識
もともと情報収集したり知識欲が旺盛であることで、専門外のことも常に学んでいたいという気持ちが強いです。宅建の知識によって不動産の仕事をしたときに専門用語も理解できましたし、クラシック音楽が好きなこともクラシックコンサートの仕事で生かすことができ、金融の仕事をしたときにはファイナンスの経験が役立ちました。
⑥ チームで仕事するということ
クリエイターは個人主義の人が多かったり、荒波立てたくないモードの人が多いのですが、私は運動部でチームで目標に向かうことや、マクドナルドでアルバイトをマネージャーとして取りまとめた経験が大きく生かされていると思っています。ときには意見の衝突もあり、良い方向に向かうならそれも必要だと思ってやってきました。そうした経験から、「仲良し」だけでは組織として向上しづらいことも理解していて、あえて一石投じる立ち位置も意識した上で担っていました。
⑦最後にクリエイティブにおいて
前職の制作会社で百戦錬磨、徹夜も連日連夜で、今の時代において自慢することでもありませんが、良くも悪くも誰よりもたくさん量も種類もやってきたという経験値は間違いなく財産となっています。賛否両論あると思いますが、訓練的なことは若い頃でないとできないし、今となっては20~30代のときにやっておいてよかったと実感しています。また、デザイナー、コピーライターといった専門枠に全くこだわらないでトータルに制作してきたため、視点が多角になり、いまでもアイデアや企画で悩むことはほとんどありません。ロジカルに考えるということも、過去の仕事や経験から学びました。
マルチでワンストップ=相談できるパートナーシップ
こうして、他とは違うスタイルを確立していきましたが、今はこのスタンスがクライアント様に対して最も課題解決や顧客満足に繋がっていると確信しています。
数字のこともマーケのこともクリエイティブのこともトータル(ワンストップ)で仕事を捉えているため、答えが早く的確に出しやすく、相談されやすいパートナーシップを築けていると思います。
実際、ここまでやらないと、仕事を【自分でやっている】と言えないと考えています。
回り道が最大の武器となる
いまでこそ、回り道したことが私の最大の武器になっていて、無駄は何一つないことも実感しているわけですが、当時の私はあまりにもアウェイで周囲に共感してもらえる人もなく、苦しんでいました。そんな過去の自分に言ってあげたい、そして新たな道に向かっていろいろと悩んでいる人たち全てに伝えたいです。